2015年10月1日
これから数回に分けて、演出として携わらせてもらった舞台『メサイア鋼ノ章』の回顧録を、コラムとしてあげていこうと考えている。
散発的、かつ不定期になってしまうこと、なにぶんご容赦頂きつつ、時に『メサイア翡翠ノ章』にまで遡りながら、「メサイア」という作品、その世界観について、そしてこの作品の何に強く惹かれるのか。自分の思うところを書き連ねていきたいと思う。
恐らく内容も順序も、作品論、演出論から俳優論など、無規則に交錯しながらの雑文となることと思うが、徒然なる駄文と思い、多めにみてやってもらえれば幸いである。
そもそもこの作品の魔力の源泉は、高殿円氏の作り上げた設定、その世界観にある。
国籍も戸籍も抹消されたスパイたち。警察内に設置された諜報員組織。その養成機関「チャーチ」がこの物語の舞台の中核となる。
言わずもがな、かつてフィクションノンフィクション問わず様々に取り沙汰された、陸軍中野学校を連想させる設定なのだが、ここに、世界的な軍縮計画「ワールドリフォーミング」が締結された世界、という特殊な背景が付加されているのである。
兵器による闘争を表面上放棄した世界は、諜報戦争が国家間抗争の主戦場となる。その最前線に立つ、市民としてのアイデンティティを棄てたスパイ。ここに、既に芳醇な悲劇性の萌芽を内包しているわけだが、そんな「世捨て人」である彼らに、唯一スパイとしては捨て去るべき「情と絆」を敢えて許可するシステム。
それが、この物語のタイトルにもなっている、「メサイア」というシステムなのである。
この設定は巧みである。
死と自己犠牲とが約束され、孤独であることを大前提とするスパイに、敢えて、規則として、「情と絆」を通ずることを許されたパートナーが、一人だけ与えられる。この仕組みは、どこか、不条理な世界を生きる人間そのものの営為のメタファーなのではないかとさえ考えてしまう。
この設定を、意識的にか無意識的にか構築しうる高殿氏の直感力は、非常に的確かつ鋭利である。
また、翡翠ノ章、鋼ノ章と、舞台版「メサイア」の脚本を担当した毛利亘宏氏は、早々にこの設定のドラマ性を捉え、脚本を作り上げてきた。翡翠におけるスパイ候補生の卒業ミッションの物語を経て、鋼における対テロリスト組織との抗争と裏切りの物語へと大胆に進展したその物語作りの手腕には、目を見張るものがある。
こうした巧緻な背景と設定を持った物語を、演出として舞台上に立ち上げる作業には、非常に緻密な戦略が必要になる。
そしてまずその基礎としては、キャスト、スタッフ全員の「イメージの共有」という作業が重要になってくる。舞台作品を作る上で、特に難しくまた生死を分かつ分水嶺になるのが、この作業であるといっても過言ではない。
この「イメージの共有」という概念は、最近では平田オリザ氏を筆頭とした「現代口語演劇」において、多く聞かれるものである。
平田氏の喩えを借りれば、人が数人集まり、跳ぶ人と縄を回す人に分かれて、見えない縄をさもあるかのようにして「大縄跳び」の場面を作る。この時、そのシーンを作り上げている人たちは、目には見えない「縄」というイメージを、全員が共有しているわけだが、それに対して、一人でも、「縄」というイメージを無視して跳ぶことを放棄する人がいたとしたら、その「大縄跳び」の場面は途端に崩壊し、見るものの想像を殺してしまうのである。
しかし、この「イメージの共有」という作業は、非常に時間と労力のかかるものでもある。 特に、日常的なリアリティを越えたSFやファンタジー、壮大な歴史物語などを作っていく際には、膨大な情報全てのイメージを逐一共有していく作業は、困難を極めると言っていい。
とはいえ、この作業をおろそかにすれば、その分観客席と共有できる空気感や微細な心理のシンクロニシティは、確実に削がれていってしまう。結局、避けては通れないものであるのは、変わりないのである。
さて、こうしたことを踏まえ、『メサイア〜翡翠ノ章〜』では、かなり長い時間をかけてテーブル稽古を行った。しかし『鋼ノ章』は、その情報量も多く、背景の設定の解読には、かなりのエネルギーがかかるものと分かった。もちろんテーブル稽古はしたものの、それだけでは、高殿氏、毛利氏の構築した世界にまったく歯が立たない。そうとなればと行ったのが、大学の講義のごときレジュメ方式である。
予め演出側で精査した設定の裏側を文書としてまとめ、これをもとに「見えない縄」を、演者にとっての「見える縄」として共有する作業の一助としたのである。
例えば、冒頭の2シーンに関しては、以下のように提示した。
【場面0】
間宮はクアンタムキャットの接近を知り、動揺。
※バイオリン演奏…間宮は、もともとバイオリン演奏が純粋に好きで、幼く純粋な思いで奏でていた音色があった。
しかし、調印式典でのテロを経て、以降、純粋な音が出なくなった。その音を内心探している。「あの音が見つからない」。メサイアとなった間宮は、心乱れるとバイオリンを弾く。演奏によって心を落ち着かせたいと思うが、内心「あの音」を探してしまうため、かえって心乱れる悪循環に陥る。
【場面1】
各団体の目的
〈公安5係〉
- 窪寺がクアンタムキャットに技術を売ろうとしていることを察知。国家の安全保障のためには、窪寺を秘密裏に暗殺することが命題。
- 現段階では、窪寺とQCとの密接な関係、その目論見〈マッチポンプ〉についてまでは知らない。〈後に志倉からその推測が語られる〉。闇の存在である5係は、窪寺の暗殺を企図する。
↓
この段階では、窪寺がQCと結託してマッチポンプの計画をしていたことまでは明らかになっておらず、白崎は「単なる技術者であり、明らかなる悪」ではない窪寺を暗殺することに迷う。
〈公安4係〉
- 窪寺がクアンタムキャットに技術を売ろうとしていることを知り、身柄の拘束を企図する。
- 窪寺の持つ技術(核物質を扱う技術)についても認識している。
〈クアンタムキャット〉
シャム、ペルシャは堤貴也から指示を受け、窪寺を連れて、合流する予定だった。
↓
そこに公安4・5係が徒党を組んでやって来た。→シャム、ペルシャにとっては想定外。しかし、ここで一度取り逃がしたところで、容易に取り返せる、という余裕がある。
※後の台詞で整合性をつけるが、窪寺はクアンタムキャットに自分の技術を売ろうとしていることで整理する。その技術とは、「放射能除去技術」だけでなく「核物質を生産する技術」も含まれている。
これはあくまで稽古のスタートから間もない時機での考察であるので、後に解釈の変更が加えられることもあった。所謂、解釈の「叩き台」である。まずはこれを建物を構築する基礎部分として、共有する作業にエネルギーを注いだ。
こうして、力の漲る作家陣の物語と文言を緻密に紐解き、解釈し、共有することから、舞台作りは始まったのである。
そしてそこからいよいよ、稽古場での次なる戦い、役者陣の心と体に向き合う作業へと、足を踏み入れるのである。
今回は、稽古のスタート時の記憶を掘り起こしつつ、文字通り「回顧」してみた。
次回は、役者陣との対話と物語の分解、再構築の過程について、「回顧」してみようと、今の段階では考えている。
新神戸オリエンタル劇場にて。オールキャスト、スタッフ陣と共に。