[コラム]卒業

2015年4月2日

私、西森英行は、2015年3月を持ちまして、 駒場学園高等学校を退職いたしました。
25歳の時から実に12年間。
幸福で、刺激的で、 豊かさに満ち溢れた時間を過ごさせてもらいました。

幼い頃から、
「脚本家・演出家」になること、そして「高校教師」になることは、
僕の欲張り極まりない夢でした。
それを同時に叶えさせてもらえるなど、どれほどの幸運でしょうか。
二つのお仕事をさせて頂くことで、多くの方々に沢山のご面倒をおかけしてきました。
12年もの間、教師のお仕事をさせて頂けたのは、
こんな自分を見守り、支え、ご指導頂いた皆さん、 家族や友人、職場のみなさんや生徒さん、俳優さんやスタッフさんのお陰です。

高校での日々は、第二の青春と言うほどに、毎日刺激に溢れていました。
若い彼らと向きあう時間のなかで、僕は人生に大切な多くのことを学ばせてもらいました。
教師が心を開かない限り、 生徒のみんなは決して心を開くことは出来ないこと。
語る前に、まず耳を傾けなければいけないこと。
そして、
人に対する愛情はどれだけかけてもかけすぎることは無いこと。
全ては日々、教室という「ドラマに満ちた場所」で向き合ってくれた生徒のみんなが、ささやかな呟きながら真実に満ちた言葉で、教えてくれたことでした。


3月5日の卒業式の夜。
卒業生の一人、ヒロタカこと、拝原宏高君に、打ち合わせに来て欲しい、と言われ、打ち合わせ資料を作って表参道のCOMUNE246に行ったところ、そこにまず、いるはずの無い劇団員、吉田英成が…。(吉田英成も卒業生で…)
まるで超常現象を前にしたように思考が停まった次の瞬間、 そこにあったのは、懐かしい卒業生、世代を超えた卒業生のみんなの顔でした。
…なんと、卒業生のヒロタカと英成の二人が協力して、僕が受け持たせてもらったクラスの卒業生のみんなに声をかけて、待ち構えていてくれたのです……。
それは、一分の隙もない、完璧なサプライズでした。

そこからは、本当に、本当に幸福な時間でした。
卒業生のみんな、そして劇団員の黒川や狩野まで来てくれて、 僕の「卒業」を祝ってくれました。
この場には来られなかったけれど、と、沢山の手紙ももらいました。
幾つものプレゼントももらいました。


今まで僕が沢山の喜びと生きがいと愛情をもらったみんなに、 これ以上何かの贈り物をもらうなんて、おこがましくて申し訳なくて。
本当に気持ちの整理がつかないまま、ただただ集まってくれたみんなと思い出話を語り、それぞれがどんな道を歩んでいるのかを聞いて、この上ない幸せな時間を過ごしました。

家に帰って改めてみんなからの手紙を読ませてもらい、 ひとりでボロボロ泣きました。

こんなに未熟で至らない人間が、 こんなに幸せな思いをさせてもらって、 ありがとう、本当に、生きていてよかった、と何度も心で呟きました。

僕がいつかこの世からいなくなるその時には、 大切な家族や仲間、そしてみんなと過ごしたあの時間を、思い出すだろうと思います。

卒業生のみんな、そして今、高校3年生になったばかりのみんな、 みんなと出会えたことは、人生の大切な、大切な財産です。

この4月から僕は、 脚本や演出といった、モノを創る仕事に従事することを決めました。
そして、終生のテーマである、 「演劇と教育」の分野で、研究と実践を続けていきます。

みんながくれたとびきりの愛情のおかげで、僕は生きていました。
これからも、みんなからもらった愛情を力に、生きていきます。

世の中には、沢山の悲しいことや苦しいことがあります。
今、この時も。
けれど僕は死ぬまで、彼らとの間で育まれた、 目には見えない、けれど何よりも強い澄んだ絆を、信じ続けます。
それがいつか、 この世界に落ちる涙のひとつでも、すくいとる力になると信じて。

心からの感謝を込めて。

西森英行