[コラム]SLOW MOMENT

2015年10月4日

昨日、表参道の国連大学構内で行われた、SLOW LABELのパフォーマンス、「SLOW MOVEMENT」を観にいった。

SLOW LABELは、国内外で活躍するアーティストやデザイナーと、企業や福祉施設などをつなげ、特色を生かした新しいモノづくりとコトづくりに取り組む団体である。
この団体のディレクターであり、団体の推進者でもある栗栖良依氏は、私が早稲田大学で劇団InnocentSphereの活動を始めた頃に、共に作品を創った仲間である。

当時、私と栗栖氏は、演出と空間演出、という曖昧な役割分担をもって、共に作品を創ってきた。栗栖氏の発想はいつも大胆で飛翔力があった。
一方の自分はと言えば、ひとつひとつ納得しなければ進めない性分で、いつもお互いに「なぜ分からないんだ!」をぶつけ合い、喧嘩しながら芝居創りをしていたように思う。

そんな彼女と、有る時期に袂を分かち、それぞれの道に進んだ。
時にニアミスし、時にすれ違いながらも、私は栗栖氏の活動を、ずっと見続けてきた。
そんな彼女が、5年前に足に悪性腫瘍を患った。彼女の足は、義足になった。
そして3度の手術と8回の抗がん剤治療を経て、社会復帰した。
復帰してから、彼女はこのSLOW LABELという場を通して、彼女の魂の響きのようなものを、発信するようになった。

そんな彼女から、メールが届いた。
内容は明かせないが、そこには、彼女らしい率直な言葉と、イベントで発表する作品に対する意気込みが書かれていた。
私は会場に向かい、誰よりも早くステージの外側に座って、その時を待っていた。

彼女が持ち前のバイタリティで成し遂げた数多くの仕事は見聞きしていた。
ステージには既に、彼女がYAMAHAと開発した、音を奏でる車椅子が据えられていた。1004column1

栗栖良依。彼女はこのステージの、総合演出をつとめていた。
20年来の戦友にして盟友の「今この時」を見届けようと、私は固唾を飲んで見守った。
そして、14時。
そこで始まったパフォーマンスは、ただただ、「美しかった」。1004column2

美しい、という言葉が、一部の好事家のための記号として消費され、そのしなやかな感触を失う前には、きっとこんな言霊を包み込んでいたのだろうと感じる、慈しみに満ちた空気の塊がそこにあった。

世に障害と言われる特徴を持った人と、持たない人。
そんな人たちが、そこにある「生」を謳う。
誰一人同じもののない、概念のハコにしまわれない「自然」で「いびつ」な白い肉体が、ゆったりと、幸福な空間を創り出す。
白い天蓋の下、ダウン症の女の子が踊りながら見せた刹那の微笑みは、この世のものとは思えないほど、無上に、美しかった。

帰路につく時、何故だか分からない胸の揺らぎに合わせて、涙が出た。

盟友は、深い生きる知恵を身につけ、あけっぴろげにその空間にほとばしる何かを注いだ。
生きていた。
それはきっと、「棄てた」のだと気付いた。
かりそめの喜びや身勝手な期待や、我ならぬものに成り代わろうとする泥のような功名心や、そういった何もかもを、
ふいと、軽やかに、棄てたのだと。

午後の陽を受けてステージに立つ彼女は、最高にクールな、表現者だった。

表現するとは、つきつめれば、搾り出すことの前に、棄てることなのかもしれない。
そのなかから生まれる純粋な雫こそが、真に人の胸を打つ。

私は、午後の宮益坂を一人黙々と歩きながら、
至らぬ我が身を振り返り、ひとり、そんなことを考えた。